子供のころの思い出を紐解くと、やっぱり「アニメ」や「ゲーム」には実に沢山の思い出がありますよね。今回は、好きとか感動というより、「私の心を変えてしまった」そんなアニメ&ゲームをのエピソードを紹介します。
結論を先に言うと、「自分の敵は必ずしも絶対悪とは限らない」ということをこの作品を知ったことにより、心に芽生えたのです。そのアニメとは、「マジックナイトレイアース」です。
私が子供のころ好きだったものは、TVでは、ウルトラマン、仮面ライダー、ゴレンジャー、グレートマジンガーなどのロボットアニメ。ゲームでは、ドラクエ、FFなどロールプレイング全般。
見てお分かりの通り、「敵は絶対悪。敵の親玉を倒さない限り、絶対に地球に平和は訪れない!」イメージ合ってますよね?そうです。私は子供のころから、「絶対正義対絶対悪」を刷り込まれており、「敵は絶対に悪で、理由なく殺戮を繰り返す侵略者」このイメージしかなかったのです。
そんな中で出会ったのが、「マジックナイトレイアース」です。
私は、このアニメを見て悲しくて泣きました(;;)ネタバレしてしまうので、もしこのアニメを見ていない方は、一度見てからこちらへ戻ってきてくれると嬉しいです><!
【私の心の中に残っているストーリー】
ある「セフィーロ」という世界の物語ですが、悪の神官ザガードがエメロード姫を捕らえて幽閉します。その結果、平和だったセフィーロという世界は魔物が現れてしまい、魔物が徘徊する危険な世界に変わり果てます。そこで異世界から召喚された3人の少女が、マジックナイトとなり、悪の神官を倒して、エメロード姫を救い出し、このセフィーロという世界に平和を取り戻す。
と私は最後まで思っていました。ところが・・・・全然違った。
エメロード姫は、このセフィーロという世界の平和を祈ることだけを義務付けられて、自由になることは全くありませんでした。ある意味で囚われの身だったのです。
神官ザガードは、ある時このエメロード姫が自分を慕っていることを知り、また自分もエメロード姫を愛してしまっていることに気付きます。エメロード姫はいけないことと思いつつも、セフィーロの平和を祈ることよりも、愛するザガードのことを思うようになってしまいます。(もう愛する心だけはどうにもならないのです!)
すると神官ザガードは、エメロード姫のことを自由にしてあげたいと思います。そしてこの世界のことよりもエメロード姫のことを考えるようになり、神官ザガードはエメロード姫を「幽閉」という形を取って拘束し、実はエメロード姫の心を祈ることから「開放」しようとしていたと私は推測しています。
この世界の誰の目から見ても、読者から見ても神官ザガードがエメロード姫を幽閉しているから平和を祈ることができないのだと。そう思っていました。しかしこの世界では、心がすべてを左右する世界であるため、意思があれば、どこででも祈ることはできます。
そうです。神官ザガードは、この世界の宿命により一生世界のために祈ることしか許されない「本当は囚われているお姫様」を自由にするために主人公たちマジックナイトと闘いそして死んでいきます。
神官ザガードが最後に言い残す言葉が「エメロード。どうか自由に」・・・(TДT)
分かります?この報われぬ愛(TДT)その後、愛する神官ザガードが死んだことにより、エメロード姫が豹変します。(少女の姿(10歳くらい)だったエメロード姫が大人の女性(25歳くらい)に急成長!)
さらにマジックナイトたちは、真の敵(ラスボス)であり、殺さなければならないのはこのエメロード姫であることを初めて知ります。そして、実は神官ザガードは、エメロード姫のことを深く愛しており、愛するエメロード姫をマジックナイトに殺させないために、負けることが分かっていたのにもかかわらず、命を懸けて戦っていたことも知ると、マジックナイトの3人は深く絶望します。
最後は当然マジックナイトがラスボスを倒すのですが・・・・・
みなさんこの悪の神官。本当に悪者と思えますか?私にはとても悪とは思えない。
確かにこのセフィーロという世界を救うこと第一と考えるならば、この神官ザガードは最大級の敵です。ただ見方を変えれば、世界の全ての人から悪の神官とみられても、ただ一人の最愛の女性を命を懸けて守ろうとしただけなんです。
私は涙が止まりませんでした・・・(TДT)
これが私の心を大きく変えてしまった「マジックナイトレイアース」です。私はこれ以後、大袈裟ですが敵対する人がいたり、自分の逆の意見を持った人がいても、必ずその人には守るべき何か理由があるんだとなるべく理解するようになりました。
※ちょっとマニアックかな~~
では次回は、「テイルズオブファンタジア」をお届けしますね(^。^)長くなったな~お付き合いありがとうございました!
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