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壮絶!チャンネル争い!

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⑤幼児・小学生編
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さて、今まで昭和46年生まれの兄のブログを読んでいただいた方!美しい(?)思い出話をしていましたが、次は血みどろの戦いが。。昭和46年代の方ならやりましたよね「チャンネル争い」です。

平成を経て令和となった今では、「チャンネル争い」なんてありえないと思います。今は一人1台のTV、スマホの時代ですから・・・・。しかし、昭和46年生まれの兄が子供の時は、昭和47年生まれの妹との仕絶なチャンネル争いの歴史があるんです。

これには歴史的な背景を少し触れる必要があります。私が小学生くらいのことというと、1970年代後半です。まず、1950年代の日本は、三種の神器として、白黒TV、洗濯機、冷蔵庫が憧れの象徴だったそうです。(当時の日本国民は、これが欲しかったということです!)

また、1960年代半ばでは、新・三種の神器として、カラーTV、クーラー、カー(車)が憧れの象徴だったそうです。3Cと呼ばれていました。ちなみに、私がすごく小さかった時には、TVはまだ白黒だった記憶があります。で・・・ということは?

一家に1台カラーTVがようやく普及し始めたのが1970年代です。TVは1台しかないんです!当然その時代には、ビデオで録画なんて、もちろんユーチューブなんてないんです。

その場、その時間で見れなかったら、もう二度とその番組は見れないんです!

その偉大なるカラーTVがこちら(こんな感じでした!)

 ↓    ↓

・チャンネルのつまみをガチャガチャまわしてチャンネル変更!

・リモコン、ボタンなんてありません!調子が悪い(映りが悪い)と、たたくと映る!(だいぶくたびれてきた時の話です!)

さて話を戻しますと、当然ですが、だいたい平日の夜19時台は、アニメが放映されていました。子供たちの大好きなアニメです!ここで特に(私にとっては重要な!)毎週木曜日の激闘が勃発します。

妹がどうしても見たい少女アニメと、兄がどうしても見たい少年アニメを賭けた戦いが。毎週けんかしていました。どちらも譲るわけには行きません。はっきり言って、兄が妹のために譲るなんて発想は0%です!兄といえども、当時は小学生の子供ですもの当然です。

もう一度言います。当時は、その場、その時間で見れなかったら、もう二度とその番組は見れないんです!

だいたい妹を泣かせて、母親に怒られ、結局見れなくなるなんて良くあったな〜ちなみに、父親は仕事が遅かったため、当時帰宅は22時近かったため、ほとんどこの場面には出くわしませんでした。もしも父親がいたら、間違いなく兄の私にげんこつが飛んできて、妹にゆずる。と思ったでしょ?みなさん?

違うんですよこれが。父親が夜動明けの時などで、この魔の「木曜日」に家にいると、兄、妹に加え、父親の3人による壮絶なチャンネル争いが始まるのです。

父親はもちろん、「ナイター」ですよ!なんといってもプロ野球中継でした。

当然のことながら父親にはかなわずと言いたいのですが、大人はうまいですね。

兄弟噴嘩をするものだから、喧嘩両成敗で「ナイター」に決定。このオチどう思います?書いてる自分が当時を思い出してしまって、腹が立ってきました> <> <!

かくも幸せ?だった少年時代でした(^ ^)。みなさんは当然、弟や妹にやさしく譲ってましてよね??

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